日々(書評のむずかしさ)
ライター・書評家の石井千湖さんが、最近アルバイトで書店員をしているという
アルバイト書店員の雑感|石井千湖|note を読んだ。
とある書評のカルチャースクールにもう10年近く通っているけれど、
そもそも書評とは、というところで私はつまずき続けている。
言い方をちょっと良くすれば、書評とは何かを考え続けている。
他人に読んでもらうのが大前提なので(そうじゃなければただの感想)
「他人」に伝わらなければいけないのだが
私は得てして、自分の読解・理解のために書評を書いてしまうので
自分本位のものになってしまいがち。
伝えたいけれど、字数を尽くさなければ伝えられないときに
潔くあきらめて、書かないことを選択するのがプロなのだろうが
書きたいことを優先してしまうのが素人(つまり私)である。
石井千湖さんの書評は、とても繊細なことを伝えているのに
しっかり読み手に受け取ってもらえる書き方をしていて
まあこれはセンスもあるだろうし、やはり自分本位じゃないのだろう。
ご著書も最近立て続けに2冊出しているし、
メディアにも時々出てらっしゃるようだから
ライター・書評家としてはかなり上手くいっていると思っていた。
実際、相対的にはかなり上手くいっているほうなんだろうと思う。
それでももう一つ副業を持とうというところに、
書評(家)の難しさを感じてしまう。
世の中にもう少し本を読む人が増えて、
書物を評することの面白さや難しさ、それ故の「芸」に気づいてもらえれば。
そして評価してくれる人間が増えれば。
プロの面白い書評には、信じられなくらいの分量のコストがかかっている
というのが、長年カルチャースクールに(だらだら)通っている人間の実感だ。
日々(風邪をひいた)
朝起きたら風邪を引いていた。
幼児を育てているせいか、めっちゃ風邪を引く。
こどもが風邪を引いたら連動してほぼ100%、少し時間差をもって私もひく。
こどもが風邪を引かなくても勝手にどこかでもらって風邪をひく。
つまり、我が家で一番風邪をひくのが私である。
コロナ禍なので、異変を感じたら真っ先に熱を測る。
今の時期は平熱が36.7℃くらいなので37.3℃くらいまでは平熱の範囲だ(夕方には元気なときもそのくらいまで上がる)。
37.1℃だった。
うーん、微妙。朝イチでこれだと夕方には37.5℃を越えるかもしれない。
しばらく家事をしたり朝ご飯を食べたりして計り直したら36.8℃だった。
これなら大丈夫だろう。
気分もそんなに悪くないし。
たまたま以前から予約を入れていた鍼灸院の日だったので
鍼灸院に行って先生にその旨伝えると
「風邪をひいたほうがいい」という東洋医学の先生もいますから、と慰められた。
免疫が鈍ってくると、ちょっとした異物が侵入しても反応しなくなるらしい。
だからこどものうちはよく風邪をひいて、老人の方が風邪をひかない、ということが起こるのだ、と。
なんだかだいぶ慰められた。
(いろいろなものに免疫がつくから風邪をひきにくくなるんじゃ?と後で思ったが、ま、いいか、慰められておこう)
ただ、身体が何者かと戦っているのはわかるが、
勝つか負けるかわからない。
今がピークですぐに良くなっていくのか、
ここは入り口で悪化していくのか。
コロナ禍で、テレワークしやすくなったり、休みやすくなったのは本当にありがたい。
今日は午前休で午後テレワークだったから水をがぶがぶ飲みながら
のんびり社内講習など受けて過ごした。
日々(しにたい気持ちが消えるまで)
スーさんの『きれいになりたい気がしてきた』を読み終えて
豆塚エリさんの『しにたい気持ちが消えるまで』を読んでいる。
ツイッターでヤンデル先生が熱量込めて紹介していたのを読むか聴くか(ヤンデル先生はちょくちょくスペースで本について語る)して手に取った。
十六歳でマンションから飛び降りて麻痺が残って車椅子生活になった女性がいることは知っていた。
でも、自死の問題にはおいそれと近寄るもんじゃないと思って遠ざけていた。
巻き込まれ、影響されることがありそうだと感じていたので。
でも、しにたい気持ちが消えたのなら、どうして消えたのか知りたい。
しにたくなることは起こると思う。
私の、大事な娘にも起こりうる。
でも、その感情を消す方法があるのだったら知っておきたい。
大事な人を黙って見送ることにならないように。
と思って6割くらい読んだが、とても面白い。
生きることのヒントが詰まっている。
他人に対してしてはいけないこと、しない方がいいこと、
反対に、そう接することができればお互いハッピーになれそうなことが書かれている。
根源的に肉体が生きたがっている、というところは
未体験なので「そうかふむふむ」と思って読んでいる。
詩を書く人なので言葉が考えられて丁寧につづられているのも良い。