ホンとのところ

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心は孤独な狩人(カーソン・マッカラーズ著、村上春樹訳)

舞台はアメリカの南部の町。時は第二次世界大戦前夜の一九三八年。

町には二人の啞が住んでいて、彼らはお互いに友人を持たなかった。

一人は肥満体で大柄なギリシャ人で、精神遅滞がある。

一人はシカゴからやってきた白人で、中肉中背。彫金の仕事をしているチェスの好きな物静かな青年だ。

彼らは10年、お互いだけを友として一緒に暮らしたが、ギリシャ人の方が病気を契機に精神状態が不安定となり、同じ町に住んでいた従兄弟によって、精神病院に送られてしまう。

一人になった啞の青年シンガーは、同じ町の別の下宿屋に移り住み、新たな知己を得る。

主要な登場人物は4人。シンガーが通う食堂の主人ビフ、下宿屋の大家の娘ミック、食堂の常連でアナーキストの青年ジェイク、そして黒人医師のコープランド

シンガーは聞き手として、彼ら4人の心の支えとなる。ほほえみを絶やさず、じっと耳を傾ける(聞こえないし、話す4人もそのことは重々承知しているのだが)。彼ら4人はそれぞれに心に孤独を抱え、自分の思いを共有する人を探し求めていた。そこに現れたのがシンガーであり、シンガーこそが自分の思いをわかってくれる人だと確信するのだ。

シンガー自身は、というと、遠く離れた精神病院にいる唯一の友をひたすら思う日々を過ごしている。シンガーに思いを吐露する4人のことはほとんど理解していないのだ。だから、同情もないし共感もないが嫌悪もないし排することもない。ただただ、彼らの発する言葉たちの受け皿となっている。

興味深いのはシンガーが熱望するギリシャ人の友人も、シンガーの言葉を深く共感しているわけではないことだ。精神遅滞もあり、手話も得意ではないので、おそらくシンガーの早口の手話を理解できてはいない。それも織り込み済みで彼はそのギリシャ人を友人に選んでいる。唯一無二の相手であると定めている。彼の孤独な世界において、自分を完全に理解しているわけでもなさそうな人物が心のよりどころであるというのは、4人にとってのシンガーと、ほとんど同じだと言える。

 誰か、シンガーの言葉に耳を傾けてほしい、と思い続けながら読んでいた。誰にも思いを表せないこと、喜びや楽しみを、怒りや悲しみを伝えられないことがどんなに人の魂をすり減らすのかを思って心が痛んだ。私だったら彼のために何がしてあげられただろうか。手話のできる人を探して紹介することができただろうか。

4人を責めるには、4人ともの心に余裕がない。聾唖者に対する同情も共感も培われていない。当時のアメリカは黒人が差別されることを当たり前だと思い、個人が社会を変えることができるなどとはほとんどのひとは考えもしない世界だった。そしてほとんどが貧困の問題を抱えていた。比較的余裕のある、食堂の主人のビフでさえ、休みなく働く情熱があるからこそ経営が成り立っている節がある。

そんな厳しい生活環境の中、ビフは物語の後半、登場人物たちに金銭的な援助をする。彼ができる範囲で、だが、それは心からなされていることだ。ほんのちょっとしたことかもしれないけれど、そのエピソードが心にしみる。

訳は村上春樹。文章から「村上春樹」という匂いが全くしなくて、とても読みやすい訳でマッカラーズの世界に入り込んでいけた。

村上氏がこの作品を大切に思って、ぜひ訳したいと思ったのもさもあらんと思う素晴らしい作品だった。

 

 

心は孤独な狩人

心は孤独な狩人